野茂英雄【最多奪三振王でトルネード投法でポスティングシステム】


野茂英雄【最多奪三振王でトルネード投法でポスティングシステム】
さんについて調べてみました。

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野茂英雄さんは近鉄に入団すると
1年目から18勝をあげ最多賞の
他最多奪三振王のタイトル等を獲得するなど、
他のルーキー投手とは次元の違う投球内容で
パリーグの打者から三振を奪っていました。

三振奪取率は日本の中で1番高い投手です。
その後も最多賞を取り続け4年連続最多賞の
タイトルを獲得します。

僅か4年で70勝をマークする大車輪の活躍をします。
当時日本の投手が大リーグでプレイするには
様々な壁がありました。

5年目は故障もあり勝ち星も8勝に留まります。
また近鉄に入団した条件に、フォーム(トルネード投法)は
変えないと当時の仰木監督はそれを快諾し入団が実現しました。

尚入団に際しては12球団中8球団が1位指名し、
見事近鉄が交渉権を獲得します。

5年目の秋季キャンプで新監督の鈴木啓二さんと
全くそりが合わず、仰木監督の為なら優勝に貢献したいが
その気持ちが薄れたと語り大きな波紋を呼びました。

結局球団に残ると言う選択は
既に野茂英雄さんにはなく、
大リーグ挑戦を表明。

球団は戦力外選手とはせず、
任意引退選手扱いとしました。

これは借りに野茂投手が大リーグで失敗した時に、
近鉄以外の球団でプレーをさせない為の保険とも言えます。

『ロサンゼルスドジャーズ』と契約を結びますが、
年俸は近鉄時代の1億4000万円から980万円に大幅にダウンします。

野茂投手は1年目から大活躍し、
13勝6敗でシーズンを終えます。

日本人初のオールスターにも選出され、
また236個の三振を奪い新人王と三振王の
タイトルを獲得します。

年俸も3年で総額4億5000万円に大幅アップし、
日本国民注目の的になります。

2008年を最後に引退しますが、
その中にはノーヒットノーランを2度獲得する等、
活躍が顕著であり、怪我で活躍出来ない年もありましたが、
野茂投手のお陰でポスティングシステムが導入され、
多くの日本人が大リーグで活躍出来る基盤を築き上げました。

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